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ギランバレーグレード4で検査結果も異常だらけなのに確定しなかった特殊事情とは

  • 2016.12.17

今回は病名がわかるまで~入院までの九死に一生を体験したお話をわかりやすくまとめましたので是非。

ギランバレー症候群でほぼ間違いないという検査結果であったのにもかかわらず、結局疑いで終わってしまったのにはものすごく複雑で最悪な状況だったからでした。

風邪症状の後に突如両足が脱力する難病!ギランバレー症候群とは?

ここからこの記事の続きになります。

 

2011年3月は東京に居て震災直後だった

2011年3月末から始まった両足の脱力、運動麻痺、感覚麻痺、目眩、吐き気、神経痛の時点で大きな病院に何十件電話しても込み合っていて診察すらしてもらえなかった。
仕方なく近くのクリニックに行くも医師が難病に気づかず、内科から心療内科に回されてしまいました。
心療内科に次の日に行くも、脱力はストレス、神経痛からの不眠は精神病だと決めつけられ睡眠薬のベンザリン、向精神薬のセロクエルを処方される。飲みたくなかったが、どうしても寝られずベンザリンのみを飲む。セロクエルは怖いから捨てる。

それでも3日眠れずまた心療内科へ行くと
吐き気止めにメリスロン、神経痛にテルネリンを、ベンザリンは8錠処方されるもまだ眠れず

 

不眠4日めで幻覚…
疲れはてて5日めに死んだように眠ったがその間にどんどん病気が進行した。
両足の脱力、運動麻痺、感覚麻痺、目眩、吐き気、神経痛に加え嘔吐、両手も脱力。

 

この時点で精神病ではなく、やはり何かやばい病気だと思い始める。

 

また同じ内科に行くもわからず、大学病院を探し始めるも中々空いている病院が見つからず…また徐々に進行していき、ご飯を食べさせてもらっても噛む力がなくなった。
→流動食に。

 

医療費もバカにならず、金銭的な負担が軽くすむ方法がないか、症状も話し診てもらえないか、同時進行で何ヵ所もの大学病院のソーシャルワーク部に電話をする。

やっと一件対応をしてもらい、診察はまだまだ込み合っていて直ぐにはみれないと言われる。

 

診察待ちの数日で流動食も飲み込めなくなる。
→水のみで生活。
(この時点で筋肉や神経の難病を疑っていたが当時神経内科という科があることを知らず)

 

4/7
待ちに待った診察日、何科にいけばいいのかわからず総合診療科へ。
問診や神経学的検査、腱反射、血液検査で異常がみつかり

医師
ギランバレー症候群という難病の可能性が非常に高いです。上司が神経内科にいるので回します

と言われ神経内科へ
しかしその上司とやらがハズレ医者で、適当な対応だった。
適当な問診、最低限の腱反射の確認、血液検査結果をみて

ハズレ
あ これはほぼ間違いなくギランバレー症候群ですね。
神経伝達速度検査と筋電図、髄液検査をして確定しますが大がかりな検査をするのに1週間待ち、入院しないとこのままじゃ死ぬかもしれないけど入院は1ヶ月空いていないから我慢して。検査待ちの時点で生きてないかもしれないね。とりあえず検査予約はいれたから。神経症状のある人にはユベラとメチコバールを処方しときます。

とか適当な扱いをされる。

 

4/8
前日の薬でアレルギーを起こし病院へ、その時の内科の医師が筋電図と神経伝達速度検査の予約を4日後に早めてくれる。

 

4日経ち、4/12
院内の筋電図と神経伝達速度検査を受け、脳のMRIは混んでいて外部の検査機関へ。
MRI検査中に何度も余震があって検査がなかなか進まなくて不安だったのは忘れられない。この4日でうまく飲めなかった水が飲めるように回復していた。この時には脱力から2、3週間ほどたっていました。

この時点で

美人女医
ギランバレーのために取った脳のMRIに、あってはならない影が見つかりました。これはギランバレーとは関係ないのでそれはそれでこれから病院に伝えてください。お大事に。

と伝えられるも、10代の私にとってギランバレーで死ぬかもしれない事で、既にキャパを超える不安だったのでもうどうでもよかった。

 

4/13
少し回復したけど脳の影が気になって耐えられず他病院に脳に影があることとギランバレーのことを電話すると即診てくれ、髄液検査をしてもらえることに。ここで昨日の外部検査機関で会ったあの女医さんと鉢合わせ!すごい偶然 笑
髄液検査の結果は少し回復していることからピークを超えてしまったため測定不能だと言われました。

脳外科にも回してもらうと、脳腫瘍で星状細胞腫という神経膠腫(グリオーマ)だろうと言われた。左の側頭部で結構危ない場所だけど手術どうする?と聞かれたけど、ギランバレーのことが先だからとお断りした。脳腫瘍については話が脱線するのでまた別の記事に。

 

4/14
この日はいつもの病院に急遽行ったため違う先生で入院予約を早めてもらい→10日待ちへ。
髄液検査がまだまだできないと言われる。冒頭に出てきたハズレ医師からこの先生に主治医を変えてもらう。
結局、筋電図も神経伝達速度も異常があった。

 

4/15少しだけなんだか話せるようになってきた。
数日後流動食が食べられるまでは回復。両手足や神経痛などの症状はましにならず。腕の上の方は少しだけ動かせるようになっていた。

 

その2日後4/16日
更に少し肩が動かせるようになった頃、
早めに病床が空いたので3日後に入院出来ますと返事が来た。

 

4/19入院
倒れてから入院まで実に3週間以上経過していた。造影剤で脳のMRIと神経伝達速度検査。
造影剤のアレルギー

 

4/20
髄液検査。結果ピークを越えていてわからない。

 

4/21脳タリウムシンチ検査。重度の副作用で意識障害。

 

4/29 神経内科医と脳外科医の合同カンファレンス
大阪から親が呼ばれて、

神経内科医
血液検査にも神経伝達速度検査にも腱反射にもギランバレーであるというような結果が見受けられるが、髄液検査がピーク時に出来なかったため確定には至りませんでした。恐らくギランバレーであるというような状態で治療もできず、たまたま回復していってくれたおかげでリハビリのみになりました…申し訳ありません。神経内科からは以上です。

そうなのです。確定できなかったために無治療だったのです…本当に九死に一生。私がもし死んでたらこの病院はどう責任とっていたのだろうか。

 

ドラマのように緊迫した空気の中、今度は脳外科医がMRI画像を棒で指し

脳外科医
左側頭部に脳腫瘍が見つかりました。これはギランバレーとは関係ありません。ギランバレーが落ち着き次第もっと詳しい検査をして手術になると思いますが、場所が悪く、海場付近にあるため手術しても…記憶がなくなったり言葉が話せなくなったり、半身麻痺が残ったり、てんかんになったり…最悪の場合手帳3つ持ちになることが考えられます。極力そうならないように努力は致しますが。現状悪性化するのかこのまま良性なのかもわかりません。良性だったとしても場所が悪いのでこのまま大きくなったたけで命に危険があるという非常に危ない状態です。若いので進行が速いのも怖いところです。

お通夜みたいな空気でした。親がこの状態を理解できなくて大変でした。

 

それからしばらくリハビリのみで入院し、

6/3
神経眼科でギランバレーによって目を動かす神経も侵されていたこと、

 

6/9
視野検査で視野の欠損があって、恐らく脳腫瘍のせいでこれからも悪化していくだろう
ということがわかり

 

6/27に退院しました。
そこから一時施設に行き、7月半ばに大阪の実家に帰ってきました。

 

P、S

不幸に不幸が重なりまくる状態でよく生きていたなという感じですね…
ギランバレーで入院できなかったこと、確定に至らず治療もできなかったこと、更にそこに脳腫瘍の発覚。死んでいたかもしれないことが3回も…
ただ倒れていなかったら脳腫瘍も発覚しなかったので、倒れてよかったということにします。

 

ここから大阪に帰ってきて更に度重なる病気の発覚があったり、脳腫瘍のことでいろいろ進展があったりで、今のほうが死んでもおかしくないような状況なんですが、まだまだ精神はピンピンしています。

 

ギランバレーの方は後遺症でバランス感覚の欠如があったりはしますが一旦歩けるようになり寛解という感じです。
現在車椅子なのは肢端紅痛症のせいなのでこれは関係なかったり。


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