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これまでの歩み(病歴、病状、現在の状況整理)

  • 2016.11.20

出生時~倒れるまで

生まれつき心雑音でそれ以外異常はなかった為、一応健康体?として生まれる。

母のみ目がおかしい事に気付き、精密検査で右目内斜視が発覚(小学生まで通院していた)

 

幼稚園頃、足が熱かった。
手術する程の重度の側弯症、まともに歩けなかった記憶がある。手術は拒否して鍼治療のみで治す。

 

小学生高学年、睫毛内反症
逆睫毛の事です(現在も手術が必要な程度)

 

中学生、交通事故で右手首2本骨折
以後8年痛み苦しみ(これはやっと治ったけど)
今も関節に可動域制限有り

謎の朝の頭の激痛で起き上がれず
学校に遅刻し始める。

 

高校生、頭痛が悪化し出席日数が…
足の裏に謎の発疹が出来、激痛で歩行距離に制限ができる
悪化していき更に学校に通えなくなり留年ギリギリ→なんとか卒業

 

専門学生、更に頭痛の悪化で通学困難…
加えて足の裏の謎の発疹がひどくなり、朝から腫れて激痛で通学困難…
そんな中マイコプラズマ肺炎で完全に留年。

 

色々有りまして、専門学校は中退して東京でルームシェア

 

倒れてから~現在

19歳、
ギランバレー(疑い)で死にかけ入院
→入院中に胃潰瘍、脳腫瘍まで発覚
脳腫瘍の場所が悪く手術できない事、腫瘍の増大もしくは悪性転移をしたら開頭手術をしても…

というカンファレンスを受ける。

 

しかし中学生からの朝の頭の激痛の原因がやっと発覚してショックを受けるどころか納得した
病気の受け入れをし始める

片目の視野も1/4なくなっていると発覚
進行するかもしれないと説明される

 

2ヶ月半ギランバレーのリハビリ等頑張り退院
→独り暮らしから大阪の実家に戻る

 

20歳、
→脳腫瘍によるてんかんが出てくる(精密検査のため入院)

側頭葉てんかんだけど脳腫瘍のせいだから、普通のとは違うと言われる(意識障害無し)
症状は片腕の痙攣と脱力

視野検査で両目とも1/4ずつ欠損していることが発覚(悪化していた。)

→遺伝子の病気が発覚(先天性肢端紅痛症)
当時日本に一人の病だった。治せない、悪化する、日本で診れる病院はないと言われた。

 

幼少期から足の裏の灼熱痛と、燃えるような熱さで寝られない事が多かった。熱くてじっと同じ場所に立っていられなかった
(17歳の時から悪化し灼熱痛や熱さだけでなく激痛を伴う発疹で歩行が少しずつ困難になっていた)

 

病名がやっと分かるまで数々の誤診をされた。大袈裟と言われたり暴言を吐く医師が多かった。
今現在でも先天性肢端紅痛症は日本に2人なので医師が病名を知らなかったせい。

病名発覚当時は激痛発疹の頻度も17歳時より大幅に悪化

 

21歳~
→繰り返す胃潰瘍
薬剤アレルギー多数、金属アレルギー(精密検査のため入院)
→慢性疲労症候群か過眠症かわからぬまま
→甲状腺機能低下(耳鳴り 脱毛 疲労)
→逆流性食道炎(17歳になったのがまた再発)
→胃ポリープ(良性)
→右大腿外側麻痺

→その時の血液検査で葉酸欠乏が発覚
→肢端紅痛症の悪化で手のひらも発疹激痛

今後もこのブログに出てくるであろう人物紹介(随時更新)

 

2016年9月の入院を期に退院後
→10月から現在、介護事業所付きのマンションに独り暮らし中

主治医が身体障害手帳と障害年金の診断書&院内紹介状まで拒否をするため、転院も出来ず、ドクハラとも闘い中

手帳や年金の事で人一倍苦労しており現在制度の谷間に落ちています。

 

2016年12月~シックハウス症候群化学物質過敏症確定
週1で解毒のため、点滴と診察で通院中。

 

2017年2月~胸に2つの良性腫瘍(経過観察)塩化ビニルアレルギー塩素アレルギー発覚

 

2017年3月~耳の軟骨に粉瘤(良性腫瘍)

(最低限の福祉制度を駆使してなんとか独り暮らしです)

 

2017年4月、希少難病の患者会加入

2017年6月、サ高住のマンションから完全なる一人暮らしへ。

2017年8月 産経新聞さんから取材を受け 紙面とネット記事に掲載される。患者会の時期副リーダー候補

2017年9月~読売新聞さんからの取材準備中

難病だらけなのに手帳も持っていない私が今どういう制度を使って、どのように一人暮らしをしているのか


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