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他の人と比較して生きるのは負のループ~消えたかった過去、生きたいと思う今~

  • 2018.09.15

 

格差社会の世の中、健常者でもマウンティングがありますが、難病患者や障がい者の世界にもマウンティングがあり、実は知られていないだけでとても醜く酷いのです。
足の引っ張り合いというのか…泥仕合というか…
頑張っている人を妬み僻み嫉み、粗探しをして粘着したり…

ただ攻撃的な意味でのマウンティングだけではなく、純粋に健常者だったり他の難病患者や障がい者と自分を比べてしまって、羨ましくなって「なんで自分は…」と、落ち込んでしまう人も物凄く多いと感じます。

今回はそんな“難病患者や障がい者の足の引っ張り合い”や“健常者や自分より軽度または重度な人と比べてしまって陥る悩み”について、「そんなことをする必要はもうないんだよ。」と言うことを今悩んでいる人に向けて書きたいと思います。

誰かと比べたい人の心理とは?

健常者も難病患者も障がい者も関係なく、ほとんどの人が“隣の芝生は青い”と思うのです。私は先天性疾患ですが、難病に気づかずに健常者として育てられたので、健常者の世界が如何に弱肉強食かを知っています。勉強でもスポーツでも何でもかんでも順位をつけて争わせるんですよね。

争うことで切磋琢磨してお互いプラスに作用するならいいのですが、色んな感情が渦巻くのでそんなに上手くはいきません。

その人のもって生まれた才能に加え家庭環境など、条件の全然違う者同士で比べられるのです。
人類みな平等ではないので余計に不公平に感じてしまいます。

 

そして比べてしまう人には数パターンあります。
私の経験を例にすると

人と比べて

  1. 自分の方が可哀想または不幸だと決めつけて落ち込む人
  2. 自分の方が可哀想または不幸だと決めつけて批判し、他人を追い詰める人
  3. 自分の方がまだあの人よりましだから頑張らなきゃと自分を追い詰めてしまう人

他にもまだまだあると思いますが、パッと思い付いただけで3種類。

 

私は一昨年くらいまで1と3でした。

病気が多く指定外難病ばかりで助成されず、病気以前から元々家庭環境にも恵まれず、障がい者手帳も取れず更にお金もかかり、障害年金も申請出来ず、ドクハラにまで遭い、珍しい病気で専門医が日本にいないから諦めてくださいと診て貰える病院もなく、介護や医療の制度にも苦しみ、金銭的にも身体的にも精神的にも追い詰められた状況にあって、そこに粘着してくる人も現れて踏んだり蹴ったりでした。特に家族からの助けが何もなく、闘病も申請類も含め全て一人で戦っていたのでキツかったです。

そんな時に難病や障がい者でも、
申請に詰まっていないのに文句を言う人・家族から支えられているのに恵まれないと言う人・労働や恋愛が出来る環境にあるのに愚痴っている人・お金にも困っていないのに不幸だと言う人を見ると、自分がいかにその人達より恵まれず追い詰められているのか、と言う現実を突きつけられて辛くて仕方がありませんでした。

特に自分より恵まれているであろう人から、“あなたはまだましだよね”とか“私の方が辛いから”とか言われたり、粘着や攻撃されると腸が煮えくり返っていました。(私は恵まれているように見えるのか目立つからなのか、ネットでもリアルでも女性からよくターゲットにされやすいです)
「何で私より恵まれているのにそれには気づかず、恵まれていることがさも当たり前で、恵まれていない私に当たり散らすんだろうか」と…

逆にそんな時に申請どころではなく刻一刻を争う病気の人と比べて、「その人たちと比べて、私は今すぐしぬわけではないだけまだましだから、もっと大変な人もいるし頑張らないといけない、愚痴ったらダメだ。」と生きる気力と勇気を貰う反面、どんどん自分を追い詰めていきました。一刻を争う病気でも、家族やお金など私の持っていないものに複数恵まれていた場合、「愛されていてお金にも困ってない、申請もやって貰えるだけ幸せだよね」と思い、純粋な気持ちではいれませんでした。

とにかく、追い詰められている状況下に一人だと誰かと比較して考えないと安心感が得られなかったのです。

結局は無い物ねだり

~この世から消えたくて仕方なかった過去~

生まれてから今までと当時の状況について詳しくは書きませんが、あくまで私のいた環境は常に普通(一般的もしくは平均的)ではなく、人には理解して貰い難い状況でした。幼少期~専門学校を中退するまで病気とは別に、学校でも警察でも役所の職員からも可哀想な目で見られ、特別扱いを受けていたため孤独感を感じていました。

 

生まれてから20歳ごろまで色々ありましたが、特に小学校の高学年で自分の状況が普通ではないことを知り、それから18歳ごろまでずっと生きる気力がありませんでした。病気も襲ってきていたのもあり、ただただ適当に無気力に過ごし、感情も余りありませんでした。作り笑いの日々…幸せを感じたことは殆どなく、学校にも家にも居場所がない家出少女でした。(友達は沢山いたけど理解してもらえないので孤独だった。いつも人に囲まれて一人ではなかったけど、常に孤独でした)

「何で自分は生まれてきてしまったのか」「早く楽になりたい」「消えたい」
そんなことしか思っていませんでした。

更に環境も悪化して勉強どころではなくなったため辞め、環境を変えるため独り暮らしをしていた時に、難病で倒れ病気がどんどん発覚していき、制度にも恵まれなかったので「なんでまた私ばかり」と常々思っていたのです。

~生きたいと思えた出会いと今~

もうお別れしてしまいましたが、以前↓この記事に書いた方と出会い、お付き合いしたことで私はどんどん前向きになっていきました。

難病で別れた切ない恋愛は私を底抜けに明るくした!

難病発覚時までお付き合いしており、私の頑張りを認め支えてくれていたのですが、その人の足枷になってしまっていたため、難病と当時の私の環境を理由に私からお別れしたので、また元の孤独な自分に戻ってしまいました。

ただし、出会えただけで有り難く思えて前向きに考えられるようになっていたこと、今まで病気とはいえ不便を感じつつも健常者に混じって暮らせていたこと、に感謝できるようになりました。

当時、難病でしにかけたり、脳腫瘍の状態が不明で色々怖い宣告をされていたのですが、だからこそ「生きているって当たり前じゃないんだ」と気付き、それを乗り越えれたから「生かされているのには何か意味があるだろうから、せっかく生まれたんだし楽しみながら生きなきゃ」と感じるようになりました。

出会えたこともお別れしたことも無駄にはしたくなく、逆に何も失うものがないことは強みになり、“自分に出来ることは無理をしてでも何でも挑戦しよう”と思い、2016年から本格的にブログやTwitterでの発信を始めました。

言葉にすることで理解者ができ、負から抜け出せた

私は余り自分の気持ちを吐き出すのが得意ではありません。そもそも、自分の事を人に話すのが嫌でした。

しかし、ネットで様々な難病の方と関わっていくうちに、誰かと比較してしまうことも多々ありましたが、ごく稀に一部の環境だけ似たような状態にある方がいらしたこと、私の苦労をわかろうとして応援してくださる方々に出会えたことで、なんだか肩の荷がおりたというのか…気力だけで頑張っていて、弱味を見せず人を頼れずに生きていたので、人に話せるようになったことで救われました。

「あぁ、孤独ではないし、わかってくださる方もいるんだな」と…

病気に関しては元々症状があったから、宣告されても驚かず直ぐに受け入れられましたが、私は長らく自分の置かれている病気以外の状況を受け入れられない状態だったのだと今は思います。

 

自分から行動し様々な人と関わること、少しでも思ったことをネットに書くことで、私は気持ちが楽になっていきました。

元々幼少期から社交的な方で行動力があったこと、酷い環境下でも知恵を絞って生きてきたこと、数々の修羅場を潜り抜けてきたこと、沢山の悪い大人を見てきたこと、まだ私は幸せになっていないし今まで嫌がらせしてきた人に負けたくないから頑張る!というド根性が幸いしたこと、それから様々な方のアドバイスのお陰で環境をじわじわ何年もかけて少しだけ改善出来ました。

同じような人の気持ちや状況を100%でなくても、少なくとも経験していない人よりは理解出来ること、辛かったけど苦労したことが活かせているので、無駄ではなかったのかなと思えます。

やっと人に恵まれたと言ったところでしょうか。もちろんその間も裏切られたり、今もまだ改善できていない部分が多々ありますが、そんなことは今の自分にとって小さなことだと思えるようになっていきました。

どうして負から抜け出せたのか

自分の全ての状況を受け入れられるようになった

そもそも最初から私には何もなかったので、それが少しずつ良くなっていくことにより、小さなことでも有り難く感じられたのです。私にとっての“当たり前”=“全てのことで苦労するのが当然”だったので、“当たり前だと思っていた苦労の部分が少しでも減った”ことでとても幸せだと思い始めました。

その点は最初から恵まれていなくてよかったのかもしれません(笑)失うものもないので無敵というのもあります(笑)

元から恵まれていなかったからこそ、少しのことで嬉しくなったり感謝ができ幸せを感じられ、嫌なことがあっても元々もっと過酷だったから屁でもないのです。

 

長い時間がかかっても、少しずつでも改善していったことによって心に余裕ができたこと、やっと良いヘルパーさんに出会えて理解しようと努力して下さっていること、自他共に自分自身を認められるようになったことで私は他人と比べることから抜け出せました。

心の余裕って大切ですね。

 

ー私の人生は奇異だからこそ、誰かと比べようがなく、自分にしか乗り越えられないのであるー

健常者や自分より軽度な人・難病でも自分より色々揃っている人、と比べてしまったら本当に自分が嫌になります。生きるのが嫌になるというより、他人と関わることが嫌になります。人の手を借りなければならないことで沢山の迷惑をかけてしまう自分が嫌になるのです。

でもこれだけの事を抱えて生きていけるのは…私の人生をここまで謳歌できるのは…自分だけなのだと思います。他の人が私の人生だったら多分乗り越えられなかったのではないかなと思うのです。(これは友達にもよく言われるので)

どんなに不利でも逆境でも、不公平でも独りでも、諦めずに頑張る粘り強さだけが唯一の自分の長所なんだと思えたのです。自分を認めて信じることが何より大事だと痛感しました。

“当たり前”という感覚は十人十色

自分の頑張りを誰かから認めて貰えたことと、良い方々と巡り会えたこと、更に自分で自分を認められるようになったことで、人と比べることがなくなりました。

自分と状況の違う誰かが愚痴っていても、その人はその人の“当たり前”の中で生きていて、色々辛いんだろうと思えるようになったのです。

自分の思う“当たり前”と他人が感じる“当たり前”は違うんですよね。だから人それぞれ自分の“当たり前”より上がると幸せを感じ、下がると不幸に感じるのではないでしょうか。

色々恵まれていても不幸な人は不幸だし、恵まれていなくても幸せな人は幸せで、更に“幸せ”の感じ方も十人十色なんだなと。

 

私はこれからどれだけ嫌なことや辛いことがあっても、この人生を楽しみながら、与えられた環境の中で“最高の自分の幸せ”を見つけられたらいいなと思っています。せっかく生まれたんだもの。一度きりの人生を楽しまないと…

今はまだ幸せの第一歩を歩み始めたところで、“最高の幸せ”にはまだまだ程遠く問題は山済みです。病気が進行したり今後も新たに病気が増える可能性もあります。まだ何も結果を残していないので、自分が何のためにこんな経験をしているのか、どうして生まれてきたのかはわかりませんが、それがいつか「○○のためだったんだ」と証明できるような人生にしたいと思っています。

せっかく生まれてきたのに、何のために苦労して何のために生きているのか、わからないまま人生を終えるなんて悲しいですから…

どうか今葛藤している人や悩んでいる人、辛い人に届きますように。


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