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その優しさは相手のためではなく自己満かも?モラハラに気をつけよう

  • 2018.09.10

お久しぶりです、ぐれいすです(o´Д`o)ゞ
去年から言っていたのに駄目男(女)の見極め方シリーズ、1記事すら更新できていませんでした(笑)

去年以降、特に人間関係(悲しいことに恋愛は皆無)で色々あったのですが、恋愛でもどんな関係性の相手でもこれに気を付けると良い!と確信出来たことがあり記事にしようと思いました。

難病だとモラハラを受けやすい

健常者でも誰かに支えられて生きているのに、難病や障がいがあると特に一人では生きていけません。誰かに頼らざるを得ない時が絶対にあります。そこに漬け込まれることが健常者に比べて圧倒的に多いのです。

そんな時に頼る人を間違えてしまったり、私のように人を信用できず自分から頼らないにも関わらず、たまたま手を差し伸べてくれた人に悪意や見返りがあって、手のひらを返されて後々凄く面倒臭いことになったので、今まで出会った頼ってはいけない人の今までの共通点を書きたいと思います。

あくまでシリーズものの第一弾ということで、これだけで相手の全てを判断してはいけませんが、危険かもしれない!と頭に入れておくだけでよいかと思います。

また、特にモラハラをする人でなくても、これから書く言葉を何も考えず口走ってしまっている人も多いと感じました。
何も考えずに発した言葉でも、無意識に下に見られているのかなとか、もしかしたら上から目線の押し付けがましい人なのかも…と思われかねないのでこの記事を読んだ方は気をつけて頂けたら幸いです。

優しさには色々あるけど

優しい人がタイプです!っていう人は多いけど、具体的に優しさとはどういつものなのでしょうか…

ただただ、“わがままを聞いてくれるだけの人”を求めていませんか?それは甘やかしているだけで優しさではないと私は思っています。人間って欲深い生き物なので、甘やかされて育つと自分で何でもやろうとしなくなったり、出来なくなっていきます。

 

“優しさ”というのは、何でもかんでも助けるわけではなく側で暫く見守るとか、(感情的に怒るのではなく)相手を思いやってダメなところを叱る、もちろんどうしても助けが必要なときにはしっかり手助けするものではないでしょうか?
↑これがさりげなく出来る人はかなりモテます!

自分が助けられる側に立ったときに、“やってあげた”感をだされるより、“さりげなくやってくれていた”という方がカッコいいと感じませんか?

優しいけど豹変しかねない人の特徴とは?

  1. わがままを聞いたり助けているが、でも都合よく相手にうまいこと使われているタイプ→主導権は助けられる側にある
  2. わがままを聞いたり助けていて、尚且つ助けてあげたからとそれを利用して優位に立つタイプ→主導権は助ける側にある

1.に関しては、上にも書いた通りこれは優しさではなくただ単に甘やかしているだけだと自覚しましょう。人から好かれるためにやっているのかもしれませんが、それではずっと都合よく使われるだけです。

たまには断ったり叱らないとメリハリもなく、“ただわがままを聞いてくれるだけの人”でしかありません。嫌われるかもしれないけど、本当に相手の事を思いやるならたまにはメリハリをつけてみましょう。それで去る相手なら、相手が子供っぽいかあなたを都合のいい人としか思っていなかった、または好かれるために優しくさいるという思惑が相手にバレていたということです。

このタイプは、相手の機嫌を伺い嫌われないようにしたり、世間体を気にしていたり、優しい人だと思われたくて他の人からの株をあげるために優しくしている、あまり自分に自信がない人に多かったです。

 

2.に関しては、さりげない優しさではない。これはモラハラしやすい人に必ず共通した部分です。わざわざ恩着せがましく優しさアピールをしてきたりするのがこのタイプです。

1.と違い、“優しくしてあげている自分カッコいい”とか思っていたりする、自分に自信があり相手より優位に立ちたい、優位に立つことで満たされる人に多かったです。

これはただの自己満であって“相手の事を思いやった優しさ”ではありません。自分が精神的優位に立ち感謝されることで優越感に浸りたいから優しくしているのです。

 

~それぞれどういう風に豹変するのか~

1.の“人から好かれたくて優しくしている”タイプは、自分が好かれることしか考えておらず、相手を思いやっているわけではない、ただの自己満です。そういう気持ちの上で優しくされても、されている側からすると接していれば違和感をひしひしと感じるものです。

そういう人は自分の思い通りに、相手に受け取ってもらえなければ、手のひらを返す傾向にあります。

例)恋愛感情があったり、人に嫌われないために優しくしたが、相手にはそこまで響かなかった場合など→こんなに優しくして尽くしたのに何で?と落ち込んで被害者面したりします。

 

2.の“相手より優位に立つために優しくしている”タイプは、恋愛以外でも人間関係全てにおいて何かしら見返りを求めている場合が多いです。助けてあげることで相手より優位に立ち、やってあげたんだからやってね!を押し付けるのです。これも接していれば何かしら求められるので違和感を感じます。

例)何かしら自分の都合の良い様に利用するために優しくして優位に立ったが、相手を都合良く利用出来なかった時やその思惑がバレてしまったとき→恩着せがましく周囲に「自分はこんなにやってあげたのに、あいつは自分の優しさを利用したんだ」と怒って被害者面したりします。利用しようとしたのはあなたですよ。と言いたくなりますね。

 

親・兄弟・上司・医療従事者・介護従事者などの中々簡単に切れない関係性の人がこうだった場合、裏切って被害者面をされるかもしれない事を頭にいれておきましょう。相手に愛情はなく無償の優しさもありません。何かしらの見返りは求められます。関係性を切れるように持っていけるまでは、相手が利用するつもりならこちらも都合よく使うしかありません。(親や兄弟とは離れて暮らすことはできても、戸籍から縁を切らないとことあるごとに関わらざるを得ないことがあります。)

モラハラを避けるために助ける側も助けられる側も認識を変えましょう

モラハラをされたりしたりする原因は…

助ける側には、相手に頼られて感謝されるうちに“やってあげている”という優越感を感じ上から目線になってしまうところにあります。(最初から利用目的で近付いてきた可能性もあります。)

助けて貰う側は、頼ることで相手に負い目を感じ申し訳ないと思い“やって貰っている”と下手になってしまうところにあります。

 

助ける側の考え方を変えるためには…

相手に押し付けられてどうしようもない場合以外は、自分が善意や好意で“助けた”という自覚を持ち、その時点で多少の負担がかかることを了承したと認識しましょう。(内容や相手によっては負担と感じないこともあるでしょう)

“自分が相手を放っておけないと思ったから、心配だから助けた”のであって、助けることで心配事が減り、更にそれに感謝されることでいい気分になれたと思いましょう。そう思えずに後々「助けてあげたのに」と見返りを求める相手なら最初から助けない方がましなのです。

 

助けられる側の考え方を変えるためには…

自分から押し付けた場合以外は、相手が善意や好意で助けてくれたと素直に受け取り感謝しましょう。もちろん助けて貰って当たり前なわけではなく、当然感謝を伝えないといけません。

相手は“助けた”時点で多少の負担がかかることを了承したことになります。(内容や相手によっては負担と感じないこともあるでしょう)

なので、後々「やってあげたのに」とか上から目線で言われても、助けて貰っておいて言いにくいですが「お互いの同意の元ですよね?」と返せるのです。(医療や介護従事者に言われても、それは本人が選んだお仕事だから言われる筋合いもないのです)

 

本当の意味で、優しさとは?

そもそも“人から好かれたくて優しくしている”とか、“相手より優位に立つために優しくしている”というのは、ただの利己的な計算上の作られた優しさです。

「◯◯してあげようか?」「◯◯してあげたい」というような「~あげる」という言い方をする人にはあまり頼らないようにしましょう。“やってあげた”と思われていて助けて貰う側が下手にならないといけないことが多いです。私の周りではモラハラやDVなど何かしらハラスメントをする人は、全てこれに当てはまりました。

※中には無意識で、そんなつもりで言っていない人もいます。助けられる側にとっては“上から目線”に感じたり“押し付けがましい人なのか”とか“下に見られているのか”と思ってしまうのでそういうつもりでない人はこの言い方に気をつけて下さい…

 

「してあげたい」という言葉は間違っていて、「相手のために自分がしたい」「自分が相手の役に立ちたい」のです。私は基本的にどうしても助けられる側になりがちです。

でも、それでも私を普段支えてくれている人の役に自分が立てるなら、「力になってあげたい」ではなく「私も力になりたい」と思います。恋愛でもそうではないでしょうか?

本当に人を愛することを知った時に私も初めてわかったことですが、「助けてあげる!」なんて上から目線の押し付けがましい感情ではなく、「(無条件で)助けたく」なりました。

自分がその人に好かれたいとかお付き合いしたいとかそんなのはどうでもよくて、”気づいたら助けてしまっている”のです。それは「してあげてる」ではなく「自分がしたい」のです。

それにも関わらず「してあげたのに」というのは間違っていると思いませんか?そう思うのは本当の優しさではなく、何かしらのメリットを考えた作り物の優しさだからです。

人はみんな誰かに支えられ、誰かを支えて生きているということ

ある場面では“助けられる側”であっても、また別の場面ではそれが逆転し、“助ける側”になったりするのです。健常者でも難病患者でも障がい者でも、人は皆支えあって生きています。

“どんな時も常に一方的に助けられる側”というのは、この世に一人もいません。一見そう思えても、“助ける側”が“助けられる側”に癒されていたり、元気を貰っていたり精神的に支えられて、それが助ける側の生きる糧になっていたりするのです。

ペットや赤ちゃんで例えると、色々と世話がかかるけどその分癒してくれてたり笑ってくれたりすると嬉しいですよね。存在してくれているだけで有難いと思われていることもあるのです。(身近にそういう人がいなくても、ネットにわかってくれる人がいるだけで十分です。)

障がい者や難病=何の役にも立たないとか、何もできないというわけではないのです。そう思っている健常者側もそう思って悩んでいる障がい者や難病患者側も、そんな事を思うのは間違っています。

 

ユニバーサルデザインやバリアフリーは障がい者や難病の人のお陰で出来ましたが、健常者にも役立っていますよね。

ベビーカーを押す際や大荷物の際にエレベーターのバリアフリーや体調の悪いときも少し怪我をしたときにユニバーサルデザインは大変有難いです。世の中の便利は不便から成り立っています。

 

それから、誰かから助けて貰ったらそれを本人に返さなくても、今度は自分がまた別の誰かを助ければ良いのです。同じ人同士で助け合うことしか認められない世の中なら、一生他人には優しくできません。

いろんな人がいろんな人を助けて助けられて世の中は成り立っています。上から目線で押し付けがましいそこのあなた!あなたも誰かに助けられているから生きているのです。

 

その時は自分が“助ける側だった”としても別の時は“助けられる側”にもなる以上、人を見下したり押し付けがましいのはもうやめましょう。そしてたまたま“助けられる側”になった時は、当たり前とは思わずちゃんと感謝を言動に表していれば、それ以上何か言われても悩むことはないのです。

世の中の全ての人が善人ではないので、“モラハラ”をする人間はまだまだいるでしょう。ですので、「◯◯してあげる」という言い方については言う側も言われた側もお互い気を付けていきましょう!

どうか今悩んでいる人にこの記事が届きますように。そしてモラハラする人もされる人も少しでも減りますように…


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