障害者でもなく健常者でもない狭間で生きるということ

物凄く難しいタイトルになりました…が、これについて私も長年悩んでいたので、書くことにしました。
障害者と健常者の狭間とは
ドクハラで障害者手帳が取れなかったり、指定難病だけど症状が軽かったり、指定されていない難病で症状は重いなど、
何らかの理由で障害者手帳をとれておらず中途半端、就職するにしても障害者枠ではない、
けれども健常者という程動けない、働けない、健康でもない、
というどっちつかずの人のことを差します。
少しは歩けるけれど無理をすると歩けなくなる、体調のよい日は動けても体調の悪い日は痛みにより寝込んでしまう、無理をすると疲労が溜まって寝込んでしまうなど。
現在、こういう症状の方は手帳を取るのに苦労する傾向にあります。指定難病でも軽度だったり、指定難病ではなく重度だったりすると、障害者手帳を取得するための決められた障害等級の症状に当てはまらないからです。(私はこれを制度の谷間と呼ぶ)
体調の良いときを見て、動けているから障害ではない。と決めつけられてしまうのです。
ネットで検索すると、結構この狭間にいる人は多いように思います。私も長年そうでした。
狭間にいるということは
どっちつかずなのでどっちの扱いもされず自他共に困惑する、もしくは場面によってはどっちの扱いもされてしまいそれもそれで自他共に困惑するという、非常に曖昧であやふやで悩む部分も多いのです。
障害者の気持ちも凄くわかるんだけどそこまで重症じゃないから…とか、かといって健常者の気持ちもわかるけどそこまでタフではないから…とか、
どちらにも属さなくて他人にわかってもらえないどころか、自分でも自分は一体なんなのか、どうしたらいいのか、どうやって生きていくのか、自問自答をしている人も少なくないはず…
どちらの気持ちもわかるって凄く大切なことだと思います。何かあったときにどちらか一方だけの意見ではなく、公正な意見ができるのですもの。
しかし裏を返せば、どちらの気持ちも奥深くまでは理解できないということ。どちらでもない故にどちらの世界にもどっぷりはまっていないから。詳しい事情はわからない。
私が狭間にいた時は
まだ痛みを我慢して歩いているし障害と認められる状態でもなく、かといって健康な友達と同じように行動が出来なくて痛みや疲労により迷惑をかけてしまって、どんどん外出をするのが億劫になり引きこもるようになりました。
体調の悪い日は誰にも辛さを見せることなくひっそり寝込み、体調のよい日だけ友達の前では笑って過ごしていたので、周りからすると大したことないと思われていました。
障害者でもないのに、なぜすぐに休憩ばかり必要なのか?なぜもっと計画通りてきぱきお出かけできないのか?友達は不満が募っていたと思います。予め体調的にあまり計画通りにはいかないと伝えていましたが理解はされていませんでした。
障害者でもなく健常者でもなかったので、まだ健常者のふりができていたからだと思います。友達は笑っているところしか見ていなかったのです。理解できるはずもありません。この頃から自分で凄く違和感がありました。
治らない病気になったという事は知られていたのに、それでも体調のよい日だけを見て「元気そうだね」「最近体調どうなの?」「やっと治ったの?」とよく聞かれていました。
「あーそうだね!」「んーまぁまぁかな」「うーん…あはは(苦笑い)」と誤魔化していました。まだ歩けるから障害者というにももっと重い症状の人もいるんだしと自分でも思っていました。
そうする事で大したことないんだね。良かったね。今度また遊ぼうよ。元気で良かった。治ったんだねー!と健常者扱いをされるのです。
でも、「元気に見えるようにしているだけだよ」「体調はましな日のみ無理して遊んでる」「治らないんだってば」など本当の事は答えられなかったのです。
本当の事を答えて、心配をかけて気を遣わせてしまうのが嫌でした。同情されて腫れ物として扱われるのが嫌でした。
しかし病気が進行しどんどん悪化していったせいで車椅子状態になり隠せなくなり、このままでは生き辛いなと感じる事が増えていき
障害者として生きる事を選択したが
狭間にいる私の現実はそんなに甘くはなかったのです。
超希少難病なので理解されないこと、足の温度が熱く(60度を超える)更に発疹が出て来て腫れて痛みで機能不全になるけれど関節は動かせるからという理由で障害者とも認められませんでした。
障害等級を決める上で、その決められた症状に当てはまらないのです。
何より希少難病であることを主治医が理解しておらずドクハラを受け、障害手帳の申請や年金の申請を拒否されてしまいました。
「痛くても手足あるだけまし。手帳をとって働くなら生活保護でも申請して生きていけ。手足があるのにそんなの障害とは認めない」
主治医の言葉です。肢端紅痛症を診てくれる病院が見つからず一年ほどこの医師と膠着状態でずっと一人で戦っています。障害者団体の方のお力をお借りしたい…#拡散希望— ぐれいす@肢端紅痛症を広め隊 (@megrace_) October 19, 2016
車椅子なのに障害者でもなく健常者でもないのにどうやって生きていけというのか。就職は?恋愛は?結婚は?私は車椅子なのに健常者として生きていくのか。誰が健常者で車椅子の人を雇ったり理解するのか。そんな状態で恋愛なんて出来るのか。
健常者と障害者の中間。狭間でずっとこのまま生きていく事は困難で生き辛いと感じていました。
障害者として生きていく事を決め、狭間のせいで制度の谷間に落ちながらドクハラとも闘っているこの9ヶ月の間に、更に病気が進行し手まで機能不全になる事が増えました。
日によりますが両手両足が機能不全になるのです。治療法もなく緩和法もなく悪化していくだけのこの病気と他20こもの病気を抱えながら私は闘いました。
やっと手に入った障害手帳は2種で4級。片足の麻痺の事しか認められず、肢端紅痛症(したんこうつうしょう)の事は書いていませんでした。しかも介護を受けているのに2種なので介護がなくても生きていけると判断をされ交通費も半額になっていません。
手帳や年金は現在再申請中です。ドクハラ医師から逃げるための転院もやっと出来そうです!
私は障害者として生きていくという選択をしましたが、しかしそれが必ずしも正解ではないということ。
狭間の人は生き方を選択出来る
悪化したり何か就職などの転機がなければ、そのまま狭間で今後どうするか悩みながら色々考えてタイミングを見計らうというのもありだと思います。無理に健常者か障害者かどちらかを選択しなければならないということもないのでは。
狭間のままでいることにより今より生き辛くなってから考える。それまでは障害者として生きるのか健常者でいるのかどちらが自分にとって楽なのか考える時期にする。というのもいいと思うのです。
実際、狭間から障害者として生きることを選択すると手続きや理解などで物凄く苦労をします。やらなければならないことが多いので確実に障害者として認められるのを待つのも選択肢の一つです。
私が伝えたいことは狭間のままでいるのか、健常者として生きるのか、障害者として生きていくのかは人それぞれでタイミングもその人次第ということ。
狭間にいることはどっちつかずで苦しい部分も多いですが、そこから一歩どちらかに踏み出すのもまた勇気のいること。
精一杯悩んで答えが出るまでそのままでもいいし、このまま狭間でずっと生きていくという生き方もありなのです。
私は悪化して狭間にいれなくなった事で障害者という選択をしましたが、悪化していなければそのまま狭間にいたと思います。
何かがなければ中々次への一歩を踏み出すのは難しいことです。狭間のままでもいいじゃない!
本人が狭間で生き辛くてどうしようもなくなった時に考えればいい事であって他人が決めるものでもないと思います。
障害者と健常者の境界線自体あやふやで、これは障害なのにこれは障害じゃないの?と思うことが多々あります。
障害者に偏見を持っている人も多いけど、私は健常者も狭間も障害者も経験して結局本人がどれが生き易いかという違いだけではないのかと思いました。
病気や障害があるけれど介護は必要ないかもしくは手帳の申請が難しいから狭間なだけであって、そもそも障害者って生きる上で何かしらの不便があって助けが必要ですといういわばヘルプの意味だと思うのです。
健常者も狭間も障害者も、ヘルプが必要か必要ないかの違いだけではないのでしょうか?
障害者って害を及ぼすという意味ではなく、生きていく上で社会が障害になって生き辛いから助けが必要ですという意味であって、私は何より健常者という言葉を一番なくしたいです…
ヘルプが必要な人と必要でない人のみでいいじゃない…健常者って言葉があるから狭間になる人が出てくるんですよね。
狭間にいる人の中で軽度でも手帳を取って少しだけでも助けてもらうという選択肢もありますので、ゆっくり考えてみてください。